Latest Entries


現在の社会状況において、小説を書いて生きていくにはどうすればいいのか。
ちょっと考えてみよう。

小説だけで生きていく


まず理想的な状態から考えると、それはもちろん受賞して、出す本が売れて、それだけで生きていくことだ。
専業作家ということだけど、そういう作家さんはどの程度いるのだろうか。
ラノベ作家さんの場合、印象だけだと、副業を持っている人の方が多いような気もする。

どの程度の収入が見込めるのか、ちょっと概算してみよう。
印税が10%だとして、文庫本の値段を600円だとすると、1冊で60円
だから1万部で60万円
デビュー作はそれぐらいかもう少し出るのかも知れない。
コンスタントに1万部出るとして、一冊書くのに3ヶ月かかるとすれば、月に20万円
2ヶ月で書ければ30万円

うーん。
部数が減るといきなり破綻するけれど、書き続けることが出来れば、なんとか生きていけるレベルだろうか。
何にせよ厳しいことは確かなようだ。
でも、好きなことをして、曲りなりにもそれだけで生きていける、というのは幸せなことだと言える。
まあ他の幸せは諦める必要があるかも知れないけれど。


副業としての作家


会社勤めをしながらラノベ作家というのが実際のところは多いのかも知れない。
学生の時にデビュー出来たとしても、担当さんは就職を勧めるのではないだろうか。仕事をすることも経験のうちだし、人生の選択肢を絞るにはまだ早いということもあるだろう。

経済的安定のための会社勤めと、好きなこととしての作家。
それが現実的だ。

自分は安定性とはかけ離れているけれど、好きなことを仕事にしてきたとは思う。
それは幸運なことだ。
でも、まあ、それが本当にやりたいことではないと気づいてしまったものだから、小説を書きたいのだと分かってしまったものだから、右往左往している。
器用で頭が良ければ、きっと仕事もこなして、小説も書けるだろう。
でも自分はそうじゃないようだ。
一つのことしか出来ないのだと最近になってようやく気づいた。
馬鹿だと思うけど、やりたくないと思ってしまったことは、やりたくないのだ。

では、どうすればいいだろうか。
妄想を交えつつ、考えてみよう。


「書くこと」の周辺の仕事


いま一番関心があるのは書くことで、それ以外のことに出来るだけエネルギーを使いたくない。
そうなれば、「書くこと」の周辺にある仕事を探してみる手があるかも知れない。
どんな仕事が考えられるだろうか。


妄想1:ゲームのシナリオライター


これは実際にサンプルシナリオを書いて、ゲーム会社に伺ったことがある。
部分的に手伝えるのではないかと考えていたのだけど、シナリオは基本的に一人で書くのだそうだ。
だから、もしやるとなったら、全部引き受けなければならない
もちろんゲームシナリオの勉強をして、任せられると判断されるところまでいかないといけないわけだけど。

大変だよと脅かされたのもあって、やや尻込みしてしまった。
でもこの線はまだあるのかも知れない。
シナリオを書ける人は(特に地元では)貴重だそうだ。


妄想2:地方誌のライター


地方誌などのライターというのは普通はどうやってなるものだろうか。やはり入社しないと無理なのだろうか。
フリーランスのライターってどうすればなれるのかな。

すっごく細いコネクションを使えば、雑誌社に話ぐらいは聞きに行けるかも知れない。
あるいはまずはバイトで入るとか。
無料配布の冊子を作っているところなんかのバイト募集はよく見る。


妄想3:小説講座


思いっきり妄想すれば、小説の講座とか開けるかも知れない。
自分はおまけとは言え受賞経験者なのだから、それを最大限に利用するとか。
うーん…おこがましすぎて恥ずかしくなってきたけど、妄想だからいいのだ。

地元で小説講座みたいなものはほとんど無いようだ。あっても特定の期間だけとか。
需要が無いことはないと思う。
例えば定年退職して余裕のある団塊の世代の人たちはたくさんいて、そういう人たちの中には小説を書きたい、あるいは自分史を書きたいという人はかなりいるのではないかな。

ラノベの新人賞に出したいという人もわりといるような気がする。
いまは読む人より、書く人の方が多いとも聞く。みんな承認されたいのかも知れない。

妄想を進めよう。
まずは小さくはじめる。
いま読書会に行っているけれど、その延長で小説講座的なものを提案してみるとか。
感触を掴みつつ、次はカリキュラムを作って、どこかを借りてやってみる。公民館とか?
どこかのタイミングで有料化すると。
うは、夢がひろがりんぐ。

受賞して、ちゃんと本が出せれば、こういう副業はありかも知れない
ラノベとは言え現役作家が教える、というのは訴求力もあるのではないかな。
しかも勉強にもなりそうだ。


妄想4:ファンに養ってもらう


ファンを獲得する、というのは今後とても重要になってくるような気がする。
新人賞に出すにしても、それと並行して同人活動やネットで活動してファンを増やしていく

人気が出て、ファンがつき、それが編集部の目に止まってデビューということもあり得るけれど、そういう棚ぼたを待つという以上に、デビューしようがしまいがファンがついている、ということが重要ではないだろうか。

もちろんデビュー出来ればそれに越したことはない。
でも別にデビュー出来なかったとしても、何らかの形で書いて生きていければ良いと考えれば、まずはファンありきだろう。
人がいなければ、何もできない。


妄想を広げれば、いずれ全てのデータは無料になるのかも知れない。
すでにコンテンツは無料になりつつある。
CGMのサイト(ニコ動やpixivなど)を見れば、プロに負けないコンテンツが無料で大量に提供されている。
無料でハイクオリティのコンテンツを創る人が、こんなにたくさんいる世界なのだ。

そういう世界で、同人誌を売って、つまりコンテンツを売って生きていくのは、かなり難しいのではないだろうか。
だから例えば同人誌は無料なのだ。
コンテンツは無料。
それによってファンを獲得し、コンテンツ以外でお金を得る方法を考えるのだ。


ファンはある作者のコンテンツを買うわけではない。
その作者とのつながりとか、共有体験とか、そういうものを買っていると言えるかも知れない。
それは作者を支えたいという思いにつながっていくかも知れない。

これは妄想だけど、例えばある作者が今日お金がなくてご飯が食べられないとする。
その時、その作者はこうつぶやくのだ。
「今夜ご馳走してくれる人募集。一緒に小説の話をしませんか?」
何千円かでその作者とお話が出来るなら、ファンなら喜んでご馳走してくれるのではないだろうか。

まあ妄想なのだけど、でももしかして、一万人ほどファンがいれば、そうやって生きていくことが出来るのかも知れない。
あははー。



次回はこの四つめの妄想について、もう少し考えてみよう。
妄想に忙しくて、小説を書いている暇がないなー。


2012年5月にやること

2012-05-01 18:52

2012年5月にやること

書くもの


・新しい長編進める
・30%程度は進めたい

(先月の雑感)
先月は後半ばたばたして書き進められなかった。それ以前にすでに詰まっていたのもあるけれど。
小説から離れていろんなことをしてみると、やはり自分が一番楽しいのは小説を書くことなのだなと改めて思う。
小説というよりは、物語を創り出すことが楽しいのかも知れない。

そう考えると、小説でなくても良いのかなと思ったりするけれど、よく考えてみると、やっぱり小説なのだ。
一人で全部出来るということも大きい。自分は誰かと共同作業が出来ない方だから。
小説の持つ制約というか、文章だけでどうにかしようとする強引さも良い。
文章だけにしか出来ないこともきっとある。そういう探索も面白い。


富士見が夏締め切りなので、なんとなくそれを目掛けて書いてみよう。
去年から「ラノベ文芸部門」という電撃でいうところのメディアワークス文庫のようなカテゴリーが出来たようだ。
それにオンライン応募できるのも便利。

今書こうとしているものは、また連作短編になりそうだ。
連作の形式が気に入ったのかも知れない。
今度はあまり奇をてらわずに話はオーソドックスに、でもキャラは可能な限り暴走させてみよう。

いま『ゴーストの条件』というキャラ論みたいなものを読んでいるのだけど、ハルヒの例で「キャラクターが役割に逆らう」というような指摘があり、それは面白いなと思う。
例えば長門は、ハルヒの欲望によって宇宙人という役割がそのままキャラクターになったものだけれど、その当のハルヒの前では宇宙人ではないことを主張し続けなければならない。
つまりこれは、物語作者であるハルヒに対して、(ハルヒに作られた)キャラクターである長門は逆らい続ける、と捉えることが出来る。

そういう構造が組み込まれているわけだけど、これはよく言われる「キャラクターが勝手に動く」みたいなこととも入れ子になっているのかも知れない。

役割に逆らうキャラクターというのを意識して考えてみるのも面白いと思う。



読むもの


・ラノベ読む

(先月の雑感)
先月は全然読めなかった。
ばたばたしていたのもあるけれど、読む気分じゃない時はある。そういう時は無理に読まなくていい。

どういう本を読みたいのか分からない時がある。
どれを読んでみても、どうもしっくり来ない。これじゃないと思う。
自分が読みたいものがどこにもなくて、何を読んでも何か足りない。

多分だけど、そういう時は入力のタイミングじゃない。
熟成期間か、あるいは出力の時期なのだと思う。
足りていないのは、入力ではなく、出力の(創作の)喜びみたいな、そういうものなのかなと思う。
そういう時は書くべきなのだ。
というか、毎日書いた方がいいのだけど。
そうすれば心安らかに、満足して毎日を送ることが出来る。

今月はラノベを読もう。
毎月何冊かは読んだ方がいいと思う。ラノベのテイストを忘れてしまう。


英語の多読用にライフハッカーの記事を読んでいたのだけど、それはやめて簡単な洋書を読むことにした。
小説は難しいから実用書みたいなものを。
精読用の参考書は後半に入ったけど、難しすぎていらいらする。読めないものだなー。日本語訳読んでも意味が分からないという。
まあのんびりやろう。



その他


・今月こそ鈴木大拙館に行く
・美術館行く

(先月の雑感)
先月は知り合いのサウンドインスタレーションにも行ってきた。
本番はダンスパフォーマンスがあったのだけどそれは行けなかったので前日に顔を出した。
展示はずっとやっていて、それはわりと面白かった。

久しぶりに読書会にも出席した。
たまにそういうところに顔を出すのは良い刺激になる。来月も出席できればと思う。


月末に富山の福光美術館に行ってきた。
知らなかったのだけど、棟方志功は福光に疎開していたそうだ。その地をだいぶ気に入っていたらしい。
民藝の柳宗悦なんかが棟方志功と懇意にしていたそうだ。その才能を見出したみたいな。
さすがに見応えがある。力もある。

疎開していた家が残されていて、そこにも行ってきた。
説明してくれるおじさんの話がものすごく長くてどうしようかと思った。話したくて仕方がなかったのだろう。
微笑ましくもあり、やや迷惑でもある。


今月こそ鈴木大拙館に行こう。
あと、行こう行こうと思いながらスルーしていた「ふるさと偉人館」も時間があれば寄ってみたい。
それとチケットをもらったのでまた美術館に行こう。
近くに美術館やいろんな施設があるのはありがたいことだ。



2012年4月まとめ

2012-04-30 18:32

2012年4月まとめ

書いたもの


・長編出した
・新しい長編:10p


読んだもの


3冊

・「旅に出ろ!―ヴァガボンディング・ガイド」 ロルフ ポッツ
4789729788.01.MZZZZZZZ.jpg
旅の本というよりは、セルフヘルプというか、人生を見直してみようみたいな本。
なぜお金が溜まったら旅に出よう、とか、いつか時間があったら旅に出よう、などと考えているのか、と著者は問う。
ほんのわずかなお金で海外に出ることができるし、そこで暮らすのも普段の生活でかかる費用よりもぐっと安くつく。それなのに、なぜ言い訳しているのか。

こういう態度は後回しの態度であって、いつかお金ができたら、いつか退職したら、いつか時間ができたら、という「いつか」は絶対に来ないとの指摘。

結局これは、どう生きたいかという問題なのだろう。
生きることが先か、働くことが先か。

仕事を始めた頃は、仕事自体が新しいことの連続だからそれだけで楽しい。でもじきにその新鮮さは失われ、生活のため、老後のため、不安や恐怖のために仕事をすることになる。
生きることが先で、働くのはその手段であったはずなのに、働くためだけに生きることになる。

忙しいと何かをした気になる。
ある程度の満足も得られる。
でもある時、気づいてしまうのだ。
自分にとって重要なことを何もしていない人生に気づいてしまう。
多分、自分にとって一番大切なことが何か、一度も考えないで死ぬ人も多いのではないだろうか。

死ぬ時に、ああ、あれを試しておけば良かった、と思う。
その想像はとてつもなく恐ろしい。

別に旅に出なくてもいいと思うけれど、やりたいことがあるならやった方がいいとは思う。
それが結果的には上手くいかなくても、試したことだけは確かになる。それならまあまあ満足して死ねるのではないのかな。

自分にとって一番重要なことは小説を書くことだと分かっている。
できれば、それ以外したくない。
でもお金を得る手段も必要だ。
だから最近は仕事をゲームのようなものだと考えたりしている。

仕事は自分にとって全く重要じゃない。今やっている事は五年後、十年後の理想の自分に繋がっていない。
でも、どうせやる必要があるなら、楽しんでやった方がいいと思う。
ゲームみたいなスタンスでやる方が、良い仕事が出来るかも知れないし、新しい発見もあるかも知れない。
そういうこと全ては小説を書くことにも役に立つのではないのかな。


・デザインの授業 目で見て学ぶデザインの構成術 佐藤好彦
4844362100.01.MZZZZZZZ.jpg
デザインの文法を名デザインから学んでいく。
デザインも絵画や音楽と同じように最良のものをたくさん見たり、聞いたりすることで学べるが、デザインは比較的学びやすい、と著者は言う。

分かりやすいルールが存在しているからだろうか。
さまざまなデザイン概念を一つずつ、例を示しながら丁寧に説明してあって面白かった。
即効性も必要だけど、ベースとなる知識をゆっくり身につけることは、どんなジャンルでも大切なことだろう。


・すべての人に知っておいてほしい デザイン・レイアウトの基本原則
484436216X.01.MZZZZZZZ.jpg
これも上のと同じ感じだけど、より実践的で即効性を重視してある。
表面的に真似ることは出来るのだろうけど、狙いや技法をよく理解することで、自分で考えながら使えるようになるのだろう。

定期的にデザインの本とか見たくなるけど、いつ見ても楽しいし、面白い。


見たもの


・福光美術館/棟方志功記念館「愛染苑」
1204-fukumitsu.jpg美術館に行くついでに棟方志功の記念館にも行ってきた。
美術館の方にも棟方志功の作品が多くあった。

はじめからあの大胆なスタイルだったわけではなく、試行錯誤の末に辿り着いたということは分かった。最初は何色もすり分けるような緻密な版画を作っていたようだ。
やはり天才にも時間は必要なのだなと思った。
作り続け、悩み続け、試し続ける時間が必要だ。

愛染苑の方は特に見所があるわけでもないのだけれど、説明してくれるおじさんの話がものすごく長いのが印象深い。あれは相当の忍耐を要する。


・小説家を見つけたら
B0026R9HWC.01.MZZZZZZZ.jpg
ションコネリー演じる老小説家と、貧しい黒人少年の小説を通した友情物語。

小説の才能があるその少年はある日ひきこもりの小説家に出会う。それからいろいろあって師弟のような友人のような間柄になる。
少年はその才能を認められてブロンクスの高校から私立の高校へ転校。
そこでまたいろいろあって、最終的には認められるというお話。

お話自体はなんというか、自滅する少年を偏屈な老小説家が助けるというわりとご都合っぽい展開。
そこまで友情が育っていたのだろうかとは思ったけれど、まあこのぐらいでちょうどいいのかも知れない。

小説のレクチャーみたいなものも少しあった。
初稿はハートで、ニ稿は頭で、とか。まあそうなんだろうと思う。

自転車に乗るションコネリーを撮りたかっただけなんじゃないかなと思ったりもした。


2012年4月にやること

2012-04-06 23:01

2012年4月にやること

書くもの


・長編改稿して出す
・次作を再検討し、また書き始める

(先月の雑感)
先々月の月末からずっと落ち込んでいたのだけれど、それにもだいぶ飽きてきた。
落ち込む時はきちんと落ち込んで、自分を慰めてあげるのがいいと思う。自分におもちゃを買ってあげるとか。

先月は以前書いた短編を二つ、長編を二つ出した。
短編の方はラノベじゃない所に出してみた。多分、カテゴリーエラーになると思うけど、ものは試しだ。
長編は少し直しただけで、ほぼそのまま出した。
自分はあまり改稿することに積極的じゃない。明らかに悪いところがあれば直せばいいけど、それ以上手を入れるなら、新しいのを書いた方が早いような気がする。
まあこれは人それぞれなんだろう。

長編はほぼ修正が終わった。
あとは印刷しておかしいところを直して出してしまおう。来週には出せるかな。
そして次に進もう。

以前、書き始めたものが保留になっているので、まず再検討すること。
その時と今とでは、何を書くべきかなどについての意見や感じ方も変わっているだろうから。


最近になってようやく気づいたのだけど、自分はその日のToDoは作るけど、その優先度をきちんと決めていなかった。
だから、どうでもいい雑多なことからやってしまって、例えば小説を書くとかそういう自分にとって重要なことを後回しにしてしまっていた。
これはよくない。
一番重要なことから、一日をはじめるべきだ。
その日、やるべき重要なことは一つでいい。その一つがきちんと出来れば、その日は成功だ。


「80:20の法則」はいろんなところで聞く。先日読んだ本にも出てきた。
つまり「全仕事に使う時間の20%が、80%の利益を生む」というようなことだけど(パレートの法則)、これは個人の生活にも当てはまる。
持っている服の20%を80%の時間着ている。
読んだ本の20%が、80%役に立っている。

これは要するに、「選択と集中」ということだ。どうでもいいことは放っておき、重要なことだけに集中する。
夢を追う場合でも同様のことが言える。
「生活の中で使っている20%の時間が、目標の達成に80%貢献している」
その20%にフォーカスすれば、目標の達成は速くなる。
「小説を書くためにしている20%のことが、小説がうまくなることに80%貢献している」

これは小説の内容にも適用できるかも知れない。
「小説の中の20%の文章が、その小説の面白さの80%に貢献している」
また逆に
「小説がうまくいかない80%の原因は、その小説の文章の20%の中にある」
とも言えるだろう。

そのクリティカルな20%に集中すればいい。
そこを直せば、小説はぐんと良くなるということだ。
それがどこかが問題なのだけど。


読むもの


・ラノベをまた読む
・なにか洋書読んでみる(?)
・知識のおさらいとして何か読んでみる

(先月の雑感)
先月は13冊読んだ。うちラノベが3冊。
ラノベを読むのはやはり勉強になる。
自分が書いているものはラノベなんだから、ラノベに囚われ過ぎなくてもいいけど、ベースは押さえておかなければならない。
今月も何冊か読んでみよう。

最近ミステリがあまり楽しめなくなってきた。
ちょっと読み過ぎたかも知れない。しばらく一休みするのも手だろう。
読んでいないジャンルもたくさんあるから、そういうのを探ってみるのもいい。


英語の勉強に精読と多読を取り入れたのだけど、なんとなく効果を感じるような気がしなくもない。
⇒関連記事:習慣を見なおしてみよう。春だから。
精読と多読は最終的には「精速読」という形で完成する、とマップ著者は書いていたと思う。
つまり、きちんと、速く、読めるようになる。

精読に使っている『英文標準問題精講』はそろそろ初級50問が終わる。
一周目は練習問題をやらないつもりだから全部で110問、一日二問やって二ヶ月で終わる予定。
問題の難易度がばらばらで、日本語訳を読んでも分からないほど難しかったり、拍子抜けするぐらい簡単だったりする。それも面白い。

多読は、lifehacker(http://us.lifehacker.com/)を読んでいる。
一日に記事が6,7個あるので、半分ずつ朝晩読む。そんなに難しい文章じゃないし、面白い記事もあるし、役に立ったりもする。
もう少し慣れたら、何か一般書レベルの洋書を読んでみるのもいい。
少しずつ進もう。


それと、これは英語の習慣を見なおしたのもそうなのだけど、自分の知識のおさらいというか点検というか、そういうことをやるのもいいかなと考えている。
例えば、算数から数学までざっくりとやり直してみるとか、日本や世界の歴史を概観してみるとか。
あとは、身に付けた技術をおさらいしてアップデートしておく、とか。
最近は学習サイトも多くて重宝する。
例えばドットインストール(http://dotinstall.com/)はweb絡みの技術をおさらいしたり、基本を知るにはもってこいだと思う。

あんまりいろいろといっぺんにやるのはよくないから、様子を見て、例えば中学で習ったことを全部一度おさらいしてみるとか、その辺りからはじめるのがいいかな。
まあこれも少しずつだ。


その他


・インスタレーション見に行く
・読書会に出る

(先月の雑感)
先月は美術館には何度か足を運んだ。今月も行ってみよう。
知り合いがインスタレーションをするとかでチケットをもらった。せっかくだからそれも行ってみるつもり。
何をするのかはよく分かってない。

先月は落ち込んでいたので読書会も休んだ。
今月は出席してみよう。今年度の最初の会なので、見学の人なんかもいるのかも知れない。

まだまだ寒いけど、もう春だ。
出来るだけ外に出て、新しいことをしよう。


2012年3月まとめ

2012-03-31 14:10

2012年3月まとめ

書いたもの


・長編出した
・短編改稿して出した
・長編を一編改稿中


読んだもの


13冊
感想にはネタバレが含まれる場合があります。

・「白百合女子大学 舟崎教授の創作演習」
大学の創作科みたいなところの講義をつづったもの。
コピーを考えたり、俳句、詩、笑い話、怪談、などをテーマにして教えていく。
特にはっとするような内容ではないけれど、基本から丁寧に教える姿勢に好感を持った。
とかく実用的で、すぐに役に立つものが求められる世界ではあるけれど、遠回りにゆっくりやったっていいのだと思う。

短歌や詩、俳句といったものは騒がしさの中では読めないものかも知れない。
心が忙しいと、詩なんか読んでられない。
たまに詩や短歌を読むのはいいことだと思う。自分の状態を知ることも出来るかも。
自分の中で短歌ブームは去ったのだけど、今度はまた詩を読んでみるのもいい。


・「芸術起業論」 村上 隆
表現し続けるためにはお金がいる。
お金を手に入れるには、日本ではなく世界で通用しなくては駄目だし、何年か、ではなく、何十年、何百年も保つアートが必要になる。

日本と欧米の美術界のルールの違い。
日本では「分からないもの」がアートであり、欧米では「新しい概念の提案」がアートである。

修行は必要なものである。
修行もせずに、挫折も味わわずに、何かを掴むことはできない。
熱湯に足をつっこんで、アチッとすぐに出るのではなく、茹で上がるまで突き進まないと、何も見えてこない。

面白かった。
しごくまっとうなことをまっとうに書いたのだろうけど、きっと嫌な人にはものすごく嫌な本になっているのだろうと思う。
中に、自分の興味をとことんまで追って分析しろ、という言葉が出てくる。
そうすると、今どうしてこんなことをやっているのか、という疑問も出てくる。
再考せざるを得なくなる。向き合わざるを得なくなる。
その本当の興味、やりたいこと、表現したいことを掴めないと、ぬるぬると同じことをやることになる。

そうなのだろうなと思う。
自分にはそこまでも覚悟もなく、書きたいことが本当に見えているのか、書きたいことをぎりぎりまで書こうとしているか、と言われると、そうではないなということは分かっている。
自分の興味をとことん追う、というのは厳しいことではあるけれど、その方向でないと掴めないものがあるのだろう。


・「六月六日生まれの天使」 愛川 晶
目が覚めると見知らぬ部屋で男と抱き合っていた主人公。
どうやら記憶がないらしい。
次第に明らかになる真相。その男も記憶がすぐに途切れる障害を負っていた。

ややこしい話で、全体的にもトリックが仕掛けられている。
とは言え、確認しようとまでは思わない。たぶんきちんと考えられているに違いないけど。
下のと同じ印象。

ミステリの場合、読み手はミステリ慣れしているし、最後のどんでん返しを楽しみにして、途中がつまらなくても最後まで読むものだろう。
読み手も驚かされるのを期待しているのだから、ややこしい仕掛けを施してもいい。

ラノベはもちろんそういうわけにはいかない。
当たり前なのだけど、忘れてしまいがちだ。
ラノベ読者は、冒頭が謎だらけで意味がわからないと読むのをやめてしまうと考えた方がいい。
だからミステリじみたものを書く場合でもそれを考慮して冒頭のハードルは下げるべきだ。
自分にはそういう配慮が欠けていると改めて思う。


・「コッペリア」 加納 朋子
人形に恋した男、その人形と瓜二つの女性、女性人形作家、そのパトロン、さまざまな人間関係が人形を軸に進んでいく。

視点変更がかなりあってややこしいし、トリックもある。
最初は面白かったのだけど、途中でごちゃごちゃしてきて、ななめ読みしていたのもあってよく分からなくなった。
きちんとトリックは考えてあるのだろうし、トリックというよりは人形をめぐる人の愛憎劇みたいなものを書きたかったのだろうと思う。
とは言え、ややこしくしても面白くなるわけではない。

それは自分が書いているものに言うべき言葉かも知れない。
複雑さが悪いわけじゃない。複雑だからこそ表現できるお話もあるし、そこに魅力がある作品もある。
でも複雑さは読みやすさを損ねる。
だから、読みにくいのを我慢して読み手に読んでもらうために別の引力が必要になる。
そうじゃないと読み終わったとき、ややこしいだけという印象しか残らない。


・「パーフェクトフレンド」 野崎 まど
不登校の天才に、友達について教えるクラスメイトのお話。
友達とは何かという問題の寓話のようにも読める。

軽い会話と文章で読みやすく、するする読み進めることができる。
そういった軽い表層と突然接続する魔法。
その魔法も計画だったのかも知れないのだけど、そういう中間をすっ飛ばしていきなり別のレイヤーにつながる、というのがこの方の持ち味なのかも知れない。
あくまで軽く読みやすい表面と、やや真実を含む深層のレイヤーとの接続。
面白いなー。

この方のは下のアムリタとこれで初めて読んだのだけど、こういう軽さが自分が書いているものにはまったくない。
暗すぎて、重たすぎる。やり過ぎ。
そうじゃなくて、もっと軽くして、暗いレイヤーにぽんと一瞬だけ接続する、そういうもので良いのだと思う。
なるほどなー。


・「ガーデン・ロスト」 紅玉 いづき
四人の高校生女子の繊細な関係性のお話。
一章ごとに視点人物がかわって、他の子に対するさまざまな思いが分かるようになっている。

やっぱり上手いんだろうなーと思う。
自分はあまりこういう繊細なものは楽しく読める方ではないのだけれど、触れそうで触れなくて、受け入れて否定して、傷つけて依存して、みたいな、そういうあやふやなものを書けるのはすごい技量なのだろう。
男子が読むにはちょっと難しいのかも知れない。
少女漫画にはこういうのはわりとあるんだろうなと思う。


・「[映]アムリタ」 野崎 まど
天才が仕掛けた映画制作のお話。
映画と心理操作みたいなものは普通は結びつかないと思うし、必然性もないと思うのだけど(映画じゃなくてもいい)、そこを映画にすることでお話の筋を通したということかなと思う。
サブリミナルとかリングの呪いのビデオなどからの類推なのかも知れない。

映画とそれに操作される人の脳、みたいなところに説明がほとんど無くて、そういうものなんだ、みたいにファンタジックになっているところもラノベらしいのかなとも思った。核心部分が空虚でも、それで問題ない。

仕掛けのある話というのは自分も稚拙ながら書いてみたけれど、自分のはまずやり過ぎているなと思う。
こういうぐっといきそうでいかないところというか、突っ込みすぎないところで止めるというか、適切なボリュームみたいなところがまったく分かっていない。
まあ仕掛自体もうまく書けてないのだろうけど。

なるほどなー。
会話も面白いし、お話に映画という筋を通してあるところなんかも、良いサイズかつ良いバランスなんだなーと思った。


・「小説の技巧」 デイヴィッド ロッジ
技術的な項目で分類されていて、小説の一部が載せられている。
ぱらぱらと見るだけでも面白い。こういう書き方あるな、とかこういう形式も面白いとか。
技術的な観点から書いてみるという方法もあると思う。

ただ書いている時にこういうことは気にしていないと思う。
振り返ってみれば、ああここはこういう技法を使っているな、とか思うものだろう。
分析しながら書くことは出来ないというか、書くというのは統合することだろうから、分析とは真逆になる。

たまに読み返せば得られるものもあると思う。


・「3・11の未来――日本・SF・創造力」
3.11を受けてSFは何ができるかとか、SF的想像力はどうなるか、といった論評や座談など。
うーんぜんぜん面白くない。
ちょっと面白かったのは山田正紀さんの発言ぐらいだろうか。それは自分の実感だけで語っているように思えるからかも知れない。

この期に及んでポストモダンがどうとか、ゴジラがどうとか、日本的なムラ社会がどうのこうのとか、そんな手垢のついた話どれほどの強度を持つだろう。
何にもないなーSF。


・「探偵小説と叙述トリック (ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?) 」 笠井 潔
ミステリマガジンか何かの連載をまとめたものらしい。
この方のは基本的に自分には合わないんだけど、作品の紹介としても読めて、そういった作品は読んでみようかと思った。
『アクロイド殺し』も読んでないし、綾辻さんの館ものも読んでない。

論というか、テーマについては特に何の知見も得られなかった。
ぐるぐる回っているだけで、どこにも進まないし、毎度のことながらどこかで聞いたことある話をしているだけの印象。


・「思想地図β vol.1」
特集は「ショッピング/パターン」。
最初に村上隆さん、猪瀬直樹さん、東浩紀さんの対談。そのころエロ漫画の規制をめぐって議論が白熱していたらしい。
東京都副知事の猪瀬さんはあくまでゾーニングの問題であって、表現規制とかそういう話ではない、としている。
それが周りに伝わっていないということらしかった。

表現や言論の自由とかそういう大きな正義みたいなところで脊髄反射的に動いてしまった人たち。
大声をただ上げたかった人たちがいたのだろう。
よくよく聞いてみるとそんな話じゃないという。

ショッピングモールをめぐる話題も面白かった。
議論というかディスカッションというのは、頭のいい仕切れる人がいて、議論をまとめながら発展させていかないと同じところでぐだぐだしてしまうものだろう。
東さんや、多分昔の浅田彰さんなんかは、そういう仕切りがすごくうまくて、議論も進むし、深まる。
上の3.11本も見習って欲しい。

後半のパターンの話はサイエンス領域と建築領域が重なる部分の議論で難しくていまひとつ興味もわかなかった。
この頃アニメ『フラクタル』の制作中だったようで、特集を組んであるのがおかしい。


・「思想地図β vol.2 震災以後」
vol2は震災が特集。
編集部も被災地に行ったようだ。津田大介さんがルポをまとめている。
行かないと分からないことはたくさんあるのだろうと思う。
そこに行った実感だけでも、大きな抽象的な議論だけでも駄目で、きっと両方が必要なのだろう。
東さんの切迫した危機感と東さんより若い人たちとのある種の温度差が面白い。
話は噛み合わなかったりするのだけど、それがまた興味深い。
上の3.11本も見習って欲しい。


・「人間の尊厳と八〇〇メートル」 深水 黎一郎
短篇集。
上手いのかも知れないし、文章に工夫もあるようだけど、これを面白いと思って読む人がいるんだろうか。
何にもない。



見たもの


・第 59 回 石川県書道協会展
・金沢発信アウトサイダーアート vol.4
・第 72 回愛石会


ざーっと見ただけ。
書道はよく分からないけどいいなと思うものもある。
小中学生の習字が壁面に貼られていて、同じ文字がずっと続いているのがおかしい。

アウトサイダーアートはたぶん障害を持っている方たちの作品展示なんだろう。面白いものもあった。
アウトサイダーアートという名前には笑ってしまった。自分で言うなみたいな。まあ主催者さんがつけたんだろうけど。

愛石会は去年も見たような気がする。
面白い石が盆栽みたいな感じでたくさん並んでいる。名前をつけてあったり。
石を愛でる、というのは分からなくもない。良い石とかは分からないけど。
どこかに石を探しにいったりするのだろう。石を持ち帰るのはよくない(何か障り?がある)、なんて聞いたことがあるけど、こういう人たちはどう考えているのだろうか。


・「31人の感性」金沢卯辰山工芸工房研修者作品展
見応えのある作品ばかりだけど、見たことあるものもあった。去年と同じ作品があったかも知れない。
二年とか三年とかかけて一作つくるというのはどういう感じなんだろうか。
そういうペースで生きる(実際に生活できるかは別にして)のは羨ましくも思う。

世界はその人の意識の持ち方によって速くも遅くもなるように思う。
だいたいの人は誰かの速度(つまり世間の、社会の、速度)に合わせて一生を終えるのではないだろうか。




習慣を見なおしてみる
そろそろ春。良い機会だから日頃の習慣を見なおしてみよう


「はじめ人が習慣をつくり、ついには習慣が人をつくる」と言ったのは誰だか忘れたけれど、たまに習慣を見直すのは良いことだと思う。惰性で続けているものもあるし。

習慣を見直すことで気分を新たにできるし、もっと意識的に一日を送れるようになるかも知れない。
いくつかの項目について考えてみよう。


小説


小説に関する習慣は以下。

・模写
・画像を見て描写
・同じ画像で断片的な文章を書いてみる


模写も描写の練習も四年ぐらい惰性で続けているんだけど、準備運動というか体操みたいなものだと思っている。
ただまあ、模写とかやったから(小説を)書かなくてもいいや、と考えてしまうところはある。
それはよくない。

今は夏目漱石を模写しているのだけど、別に発見とかはないし、面白みもあまりない。どうなんだろう。
自分が面白いと思ったものを模写した方が良いような気はする。
だらだらと模写しても仕方がない。なんでもそうだけど、意欲的でなければ何も得られない。


描写の練習は以前は写真集でやっていたのだけど、最近はflickrの画像でやっている。
flickrとか見てるだけで楽しい。
最近はtumblrとかinstagramとかpinterestとか、ああいう写真をshareするサービス(tumblrは違うけど)がたくさんあって面白い画像には事欠かない。
みんな見て欲しいんだと思う。
そして誰かの写真にコメントする。自分のにもコメントして欲しいから。
それはまあ嫌な言い方をすれば承認の取り引きなんだけど。

画像を描写するのは悪くない習慣だと思う。
見たことがない景色や場所、人物のこともあるし、静物のこともあるし、さらには楽しくもある。
画像を見て断片的な文章を書くのもちょっとした練習にはなっている。2,3行しか書かないけど。
小説の一場面のほんのさわりというか。

さて、小説についてはこれ以上習慣を増やさなくていいと思う。
それぐらいなら実際に小説を書いた方がいいのだから。
模写については面白いと思った小説の面白いと思った部分を、技術や文章を盗む気でやらないとあまり意味が無さそうだ。

・模写:続けるけど、もっと意識して
・描写:続ける
・断片:続ける



運動


運動の習慣は

・30分ぐらいのウォーキングを週二回程度

だけ。これはいけない。

少しずつジョギングを入れていこう。その前にシューズを買い換えないといけない。
何年か前まではフットサルとか激しい運動をしていたのだけど、ああいうのはやり過ぎだと思う。
そこまでする必要はない。

少しだけ負荷を上げていくので十分だと思う。
無理はよくないし、激しすぎる運動は免疫力を弱めるとも聞く(だから運動選手は風邪をひくと長引くとか)。

・ウォーキングにジョギングを混ぜていく。週二で十分。



英語


これまた惰性でなんとなく勉強を続けている。

・文法
・瞬間英作文
・日記
・シャドウイング
・ボキャビル


英語上達完全マップというのに従って、TOEICで900点取れるまではやろうと思っていたのだけど、二回目に受けて870までいったのでもういいやと思って、その後は惰性で続けてきただけ。
まったく読めない聞けない書けない話せない。

文法はシリウスジュニアという文法問題集を何十周もしたので、先日もういいと思って捨ててしまった。
親シリウスまでやってないけどいったん文法はやめることにする。

瞬間英作文は日本語を聞いてそれをすぐに英語にするという練習なのだけど、マップ著者の『どんどん』『スラスラ』、あと『コーパス口語英作文』というのをずっとやっている。
他に『入試英語最重要構文540』という構文集もやっていたけど、これは3周ぐらいしたのでこの前捨ててしまった。

日記は1行ぐらい書くだけ。図書館に行った、とかそんなレベル。ほぼ意味がない。
シャドウイングESLPodcastという簡単なPodcastでずっとやっていたけど、この前やめた。なんかあんまり意味がない。
ボキャビルP-Study Systemという忘却曲線を加味した単語アプリでずっとやっている。
今はアルクのSVLという単語集がレベル12までひと通り終わった。
SVL12で12000語だけど、きちんと分かるのはせいぜい5000ぐらいじゃないかと思う。


目的もなくただやってきたのだけど、最近、ちゃんと洋書を読めるようになりたいと思いだした。
日本語ではない言語回路が頭にあるというのは、小説を書く時にも何か有用ではないだろうか。まあ分からないけど。

そのためには、じっくりと構文を理解しながら読む「精読」と、やさしい洋書をたくさん読む「多読」が必要になるようだ(とマップには書いてあったと思う)。

そういうわけで以下のように見なおそう。

・文法:ひとまずやめる
・瞬間英作文:続ける
・日記:微妙。ライティングにはあまり興味もないのだけど、何かうまい方法があるかな。
・シャドウイング:やめる。でも何かリスニングものは必要な気はする。
・ボキャビル:続ける。まずはSVLをやり直してみようか。
・精読:『英文標準問題精講』(いわゆる原の英標)をやることにした。朝晩で1問ずつ。
・多読:VOAのサイトを読むとかもありなんだろうけど、図書館で語彙制限本を借りてみるのもいいと思う。



その他


その他、細かい習慣はたくさんあるのだけど例えば

・日誌
・ネットの制限


などがある。

日誌は朝、今日やることを書いて、夜、したこと、できなかったことを書くだけ。
それを週ごと、月ごとでもやって、来週、来月の目標を書く。大晦日に一年のまとめをし、終わったらその年の日誌は捨てる。
これは良い習慣ではないかな。
一日ごと、週、月、年ごとに、ちゃんと分かりやすい区切りをつけるのはいいことだと思う。


少し前から、ネットをだらだらと無制限に見ていいのは土日だけにしている。
まあなかなかそうは出来なくて、見ちゃうんだけど。
ネットを見るのは、雑誌を読むとかテレビを見るのとあまり変わらないと思う。なんとなく今の雰囲気がわかる程度で、見た五分後には忘れてしまっているようなことばかりだ。
今日は、はてブとか2chまとめサイトとか見たけど、何を見たのかまったく覚えていない。

要は入力と出力のバランスなのだけど、それが難しい。
ブログを巡回したり、RSSチェックしたり、twitterやtumblrやmixiやFacebookをやったりするのが楽しいならずっとやってもいい。
楽しみを追いかけてもいい。
でも何かやりたいことがあるなら、それをやるための時間をまず捻出しなければならない
どんなことだって、やるには時間がかかるのだ。




習慣を長続きさせるコツは絶対に張り切らないことだと思う。
最初は誰でも張り切ってたくさんやる。そしてすぐに息切れしてしまう。それはすぐに結果を出したいからなのではないかな。
でも結果は、1年後や5年後、10年後にわかるものなのだ、きっと。

そう考えると、良い習慣を身に付けたい場合、毎日、最小の分量しかやらない、と決めるのもいいように思う。
模写するなら1行だけしかやらない、とか、単語やるなら5つしかやらない、とか自分に制限を課す。

習慣というのはなんというか、初期値を少しだけ変えるようなことなのだと思う。
それは最初まったく効いてこない。
初期値を0.1変えても、何も起こらないように見える。

でも1年、数年と経つと、その初期値のわずかな違いが驚くほど大きくなる
それは複利効果のようでもあるし、バタフライ・エフェクトのようなものでもあるのだろう。

今日、ほんの少しだけやることを変えるだけで、10年後にはまったく違う地点に立つことができる。
まあそう思わないと、やってられないというのもあるのだけど。



Appendix

プロフィール

otsun
Author:otsun
2008年春から書き始めました。
最新記事のRSS

検索

過去ログ


進捗

・再検討

読んでいる

「Outliers」M.Gladwell
「フリー」C.アンダーソン
「コールド・リーディング」

今日の一枚

4/29 棟方志功は富山の福光に疎開していたそうで、その住居が今も残されている

タグ